きゅーぶの自己紹介【元東京消防庁消防士&救命士・現病院救命士】赤裸々プロフィールまるわかり!

自己紹介

はじめまして、元東京消防庁消防士&救命士で、現在は某有名病院で病院救命士をやっている『きゅーぶ』と申します!

 

このページでは「『きゅーぶ』ってどういう人なの?」「なんで東京消防庁を辞めたの?」「なんで病院で働いているの?」など様々な疑問に対して自己紹介という形で説明させていただこうと思います。

プロフィール

元東京消防庁救急救命士。退職当時年収800万円の安定公務員と定年退職金2000万円を捨てて、より深く医療に携わるため病院へ転職。その後、コロナと闘うためにさらに違う病院へ転職。そして、とあるクリニックで夜間往診救命士として非常勤のバイトをしている。また、救護ボランティア団体にも所属し、マラソンなどのイベント救護でも活躍中。救護、消防、病院、往診を経験し最強の救命士を目指している。二児の娘のパパでもある。現在、救命士として活躍されている方への知識・技術・転職情報などの情報共有や、これから救命士を目指す「救命士の卵」にとって少しでも参考になればとブログ、Instagram、Twitter、LINEオープンチャット、TikTokなどで情報発信に尽力しております。

  • 東京の四年制大学卒業
  • 同年度に東京消防庁Ⅰ類と救急救命士国家試験に合格
  • 東京消防庁で救命士として10数年勤務
  • 救急隊として合計約15,000件出場
  • 機関員(救急車の運転手)として合計約36,000㎞走行
  • 秋葉原無差別殺傷事件に出場し傷病者を搬送
  • 2018年東京国際消防防災展に救急演技隊として参加
  • 消防総監賞受賞歴数回
  • 救急部長賞受賞歴数回
  • 方面本部長賞受賞歴数回
  • 署長褒賞受賞歴多数
  • 行政区(港区)功労賞受賞
  • 東京の二次病院で1年間救急外来に勤務し、通常の救急搬送患者の対応、CCU患者の対応、急性期脳卒中患者の対応、東京ルール患者の対応、救急隊からの収容依頼電話対応、外科処置介助、ウォークイントリアージ、受診相談電話対応などを経験。
  • 現在は関東の二次病院で病院救急車の救急隊長として勤務
  • 訪問診療をやっているクリニックにて夜間往診のバイトも実施中
  • 東京ドーム大規模接種会場で新型コロナウイルスワクチンを約300人に接種
  • ボランティア救護団体「ABC Rescue」所属
  • 安全運転中央研修所(茨城県ひたちなか市)で「消防・救急緊急自動車運転技能者課程」受講済み
  • JPTECプロバイダー
  • PSLSプロバイダー
  • PCATプロバイダー
  • ICLSプロバイダー
  • 応急手当指導員認定証取得
  • 応急手当普及員認定証取得
  • 上級救命技能認定証取得
  • 一般社団法人 民間救命士統括体制認定機構による「民間認定救急救命士」認定取得
  • 日本救急救命学会会員
  • 8t限定第一種中型自動車免許取得
  • 日本漢字能力検定2級取得
  • 実用英語技能検定準2級取得
  • パソコン検定3級取得
  • 危険物取扱者乙種4類取得
  • 千葉県出身
  • 妻、娘2人と東京で生活中
  • 趣味:映画鑑賞、漫画鑑賞、ゴルフ、テニス、フットサル、スノボ、サーフィン、娘たちを喜ばせること、ピアノ
  • 特技:合気道初段(黒帯)、剣道初段、総合格闘技経験2年、ブレイクダンス

『きゅーぶ』ってどういう人なの?

まずは生い立ちからお話させて頂きますね。

 

出身は生まれも育ちも「千葉県」です。

 

母親が看護師をやっていたので、小さい頃は保育園に預けられ、その後幼稚園にも通いました。

 

母親の影響で医療の道に進んだのかと思われるかもしれませんが、それは全くないです(笑)

 

特に何か医学的なことを教わったこともないですし、母親の働いている姿を見たこともない、幼稚園に上がるころには看護師は辞めていたので仕事に関する話題も聞いたことがない。

 

母親からは「公務員がいいから公務員になりなさい」と言われ続け育てられました(笑)

 

父親はいたって普通のサラリーマンで主に布団の営業をやっていました。

 

なので、僕が救命士になったのは特に親の影響を受けたわけではありません。

 

幼稚園のあとは何も考えず流されるまま公立の小学校と中学校に行き、高校は第一志望の県内トップレベルの公立に落ちたので第二志望の私立に行きました。大学も国立志望でしたが、諸々の理由により結局私立に行きました(諸々の理由については後でお話させて頂こうと思います)。

 

小学校では部活はサッカーを、習い事では水泳、空手(総合格闘技)をやっていました。中学校でも部活はサッカーをしていました。高校では合気道部に入り黒帯を取りました。大学では硬式テニス部に入りました。好奇心旺盛なのと飽き性なので結構色々やりたい派なんです(笑)。なので、野球一筋とかサッカー一筋の人とかってずっと続いてすごいなぁーと思います。

 

大学では奨学金を借りて英会話教室やパソコン教室に通ったり、3年生から大学の近くにアパートを借りて友達とルームシェアをしました。1~2年の頃は実家から大学まで2時間40分ほどかけて通学していました。今思うとよく通ってたなぁと思います(笑)。まぁ1~2年の頃は1限からの日があまりなかったからできたことだと思います。3年生からは実習が始まりさすがに通うことは諦めました(^_^;)

 

続く・・・(後日更新します)

 

なんで東京消防庁を辞めたの?

辞める決意をした理由は沢山あります。

 

まずは、救急車の不適正利用が多すぎることが一番の理由かもしれません。軽症・軽傷、酔っ払いや精神異常者などの出場が多く、救急出場件数も年々増加する一方です。それにもかかわらず総務省消防庁や東京消防庁本庁は抜本的な解決策を講じることもなく、現場の負担や疲労や不満は溜まるばかりでした。

 

「#7119」の救急相談センターが開設された時は期待しましたが、救急隊として勤務していなかった消防OBが電話を受けていたり、緊急性はなさそうだけれど責任回避から結局救急車を出場させたりという事案が山ほどあり愕然としました。明らかに救急車を呼ぶ必要がなさそうな事案で、何故救急車を呼んだのか聞いてみたところ、「救急相談センターに救急車を呼んだ方がいいと言われた」という回答が何回もありました。本来、本当に救急車が必要であれば救急相談センターの方から救急車の手配をするのですが、これらはうまく自己責任で呼ばせているわけで、救急件数を減らすための目的としての仕事を完全に投げているとしか言いようがありません。こういった形式的な体制に徐々に嫌気を募らせていました。

 

あとは働き方がキツかったのも理由の一つです。消防は24時間勤務ですので朝8時半から翌朝8時半までが勤務です。事前に申し送りを受けたり準備をするために1時間前には出勤していました。勤務終わり直前に出場指令が入ることもよくありますので、その時は当然残業扱いで出場です。そうでなくても事務処理でお昼前後まで残ることも多々ありました。出張所だと事務で残業することはあまり少ないのですが、本署だと係事務で残業することがほとんどでした。ですから、実質30時間前後の勤務なんてこともざらでした。出場で仮眠が一睡もできずにこっくりこっくりしながら事務処理していたことも珍しくなかったです(笑)四六時中出場している中、救急出場件数も年々増加しており、今後も定年までこれを続けることを考えたらかなり不安を覚えました。昔は救急出場件数が少なめだったから24時間勤務でも成り立っていましたが、今は昔と比べかなり件数が増えているためその勤務制度が時代と合っていないのです。田舎の消防であれば件数の少ないところが多いので24時間勤務でいいと思いますが、都市部のように忙しい地域はせめて日勤・夜勤で分けた方がいいと感じていましたが、腰の重い組織に期待はできませんでした。大隊長以上になって管理職として一線を退くという手段もありますが、管理職には全く興味は無く、できれば定年まで現役救急隊でいたいという思いの方が強かったです。管理職になれば救急活動や救急知識だけでなく消防活動や消防知識など全体のことにも精通しなければならず、救命士になりたくて消防に入った私としては管理職になる選択肢はありませんでした。

 

また、消防に勤めているということは消防士であることが前提であり、救急出場でほとんど消防署にいない中、消防士としても救命士としても知識と技術を高めなければいけないというのは大きな負担でもありました。労務管理で救急隊を降りている日は消防隊として勤務したりするのですが、普段は救急隊だから消防活動は疎かになってもいいなんてことはなく、日頃から消防隊メインでやっている人たちと同じように活動しなければなりません。消防隊の中でも指揮隊・救助隊・はしご隊・ポンプ隊など色々な隊がありそれぞれ活動の仕方が違うのにです。救助隊以外は全て経験しましたが、やはり普段やり慣れていないことを急にやるというのはかなりストレスになります。

 

救命士として働きたくて大学で救命士の資格を取得して消防に入ったわけで、元々消防士になりたかったわけではありませんでした。しかし、私の時代では救命士としての働き口が消防一択の時代でしたので消防に入ったという感じです。

 

そして、「こんな救急隊長になりたい!」という憧れる人が周りにほとんどいなかったのも大きいかもしれません。逆にこんな隊長には絶対なりたくないというのはたくさんいました(笑)。消防では勤務年数や期生や階級が上であれば自分より偉いという認識ですので、極論何もしなくても年月が過ぎれば勝手にどんどん偉くなっていくんですよね。そして、自分でなくてもいい仕事は部下や後輩がやってくれるのでどんどん怠惰になっていく人がほとんどです。これは処置に関してもそうであり、新しく出来るようになった処置の資格を持って入ってくる救命士がその処置に関してはやってくれるので、自分はその処置の資格を取ろうとはせず、ましてや勉強することもないというのは少なくありません。一緒に活動するうえでその人だけに任せきりにせず周りの人間も知っておくべきなんですけどね。

 

そんな状況下で組織の駒としてただ淡々と言われるがまま働き続けるのに嫌気がさし、消防救急の将来に大きな不安を抱えたままではいられなくなり、消防を辞める決意を致しました。

 

なんで病院で働いているの?

結論から言うと、医療により深く携わるためです。

 

そして、消防以外で救命士として活躍したいからです。

 

消防救急隊として医療に深く携わるには限界があります。

 

救急隊は社会的に医療従事者として認識されていない風潮も感じられます。

 

一方、病院では働いているだけで自然と医療知識が身についていき、医療への理解度が上がり、できる手技が増えていき、医療従事者として認識されている実感があります。

 

実際、病院に転職してから「医療人」として、そして「救命士」としてかなりレベルアップできていると感じております。

 

そして、現在進行中でまだまだレベルアップ中です。

 

消防では定年退職までの過程が容易に想像できてしまいつまらないですし、業務をこなすことばかりになって全然心躍りませんが、病院救命士はようやく広く認知され始め、まさに革命期であり、未知なる部分をこれから開拓していくところに「楽しさ」や「やりがい」を感じます。

 

また、私の目標として「日本一の救急隊を作る」「日本一の救命士になる」という二本柱があり、これらを達成するためには消防にいては成し遂げられないですし、病院救命士であればそれが達成できると思っています。

 

これらの理由により私は病院勤務を選択しました。

 

救命士になるまでの物語

執筆中・・・

 

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